メディアで取り上げた、平成・昭和で常識が今の10代の若者が驚いたことを選んでご紹介します。
世代のそれぞれの思いがあると思います~!
令和の10代が驚いたこと!
まずは10位から紹介します。
第10位~リモコンなし!
1970年代~80年代ごろまでは、テレビ本体(ブラウン管)についているつまみを回してチャンネルを変えていました。そのあとボタンを押す形のテレビになり、コード付きのリモコンになりました。(電話もダイヤル→プシュッ→タッチパネル)
チューナが機械式から電気式に変わって、リモコンの番号ボタンで直接チャンネルを選べるようになった
第9位~週休が1日だけ!
1947年(昭和22年)労働基準法が初めて制定された当時、労働時間は「1日8時間、週48時間」からスタートしました。1日の労働時間は今と変わりませんが、週に48時間、つまり実質的に「週休1日」であり、多くの会社では日曜日のみが休日でした。
週休二日制になったのは
- 官公庁は平成4年(1992年)に、完全週休2日制となりました。
- 学校は1992年(平成4年)から公立小中学校及び高等学校の多くで毎月第2土曜日が休業日になった。
第7位同率~消費税がなかった!
昭和までは消費税はなく、商品にには高額商品に物品税がありました。
1989年(平成元年)4月1日、日本ではじめて消費税が導入されました。
消費税3%の導入は1989年時の竹下登元総理が、これでかつての物品税の廃止。
第7位同率~ヘルメットなし!
昔はノーヘルで2輪車を運転できた
集団で2輪車で走り回る若者たちを当時はカミナリ族とか言われてました。
ヘルメットの着用義務はいつから
1960~1970年代にかけてバイク人口が増えたこと、若年層のライダーによる事故増加などを受けて、1986年に原付も含めたすべてのバイク、すべての道路でヘルメット着用が義務化した。
第6位~期限表示なし!
昔は期限表示はありませんでした。「製造年月日」だけでした。ほとんどの消費者も気にしなかったのです。
平成7年4月から、「製造年月日」から「消費期限」または「賞味期限」に切り替わった。なぜか
表向きは「製造や流通技術の進歩で食品の日持ちがよくなり、品質保持の期限
そのものを示した方が消費者に有益だとの考え方から」
ホントは当時、日本の貿易黒字が問題となり、海外から多くのものを
輸入しろと外圧がかかっていました。
欧米から食品を日本に輸出しようとした時に遠く海外から船で
渡ってくると製造日から何日もたち日本の消費者が、
輸入品は古いと判断をして買ってくれない~。
これは輸出障害でハンディーがあると!日本政府にクレームが出たそうです。
輸入食材の日付のハンディーを解決するために、裏の事情でできた消費期限、賞味期限表示です。
日本の政府は、外圧に弱いので!
第5位~卒業アルバムに個人情報が!
昭和の卒業アルバムには生徒の住所・TELも全部のってたんで、好きな人の住所宛に送れば告白することができましたけど、今ではむりですね?個人情報の管理が厳しですからねぇ。
そうそ、写真撮影の時に欠席者は別の枠で載ってました。
第3位同率~シートベルトなし!
昭和44年前はほとんどの自動車のシートベルトは付いてなくて、しなかたのです。同乗者の安全性の認識が低かったのです。
私も当時、自動車の運転した時もそうでした。
いつ頃からシートベルトをすることに?
最初に日本でシートベルトの設置が義務付けられたのは、1969年。その年の4月1日以降、国内で生産された普通乗用車について、運転席のみシートベルトの設置が義務付けられました。
助手席のシートベルトは1973年12月1日、後部座席のシートベルトについては1975年4月1日以降の国内生産車で設置が義務付けられています。
第3位同率~連絡は伝言板で!
今も昔も、待ち合わせの相手は、しばしば現れないことがあるある
昔し、多くの駅の改札の脇には、黒板の伝言板が置かれていた。待ち合わせた相手が予定時刻に現れなかったような時に、備え付けのチョークで伝言を書くことができる。どこの駅でもよく見かける風景の一部でした。今は携帯電話があり、待ち合わせや遅れる連絡はすぐに出来るので考えられますんね!
伝言板(でんごんばん)は、鉄道駅の改札口出口付近などに設置された黒板とチョークを用いる掲示板。その駅が管理し、一定の時間になると伝言は、駅員によって消去される仕組みである。「ウィキペディア(Wikipedia)」
第1位~映画が見放題!
昔の映画館は一度入ると一日中映画を観ていられた
昔(昭和30年ごろ)の映画館は一度、入場すれば1日中何回でも見れていた。 いつ 行っても 途中で入れたし 休憩15分くらいで 次の回が 始まるので 最低2回は 見てた。 ただ 名画座でもないのに 2本立てや 3本立てが 普通なので 2回見ると 1日がかりだ、 途中で 入ってくるやつ たくさん いるので ドアの前は 落ち着かんかった。 普通は ロビーで 待って 終わり頃に中に入り 後ろに立って 客が 席を たった瞬間 ダッシュして いい席を 取るパターンでした。
エピソード1
よく母と映画を見に行きましたが、途中から映画を見始めて、その次の映画も見て、最初の映画に戻って、やがて入場した時にやっていたシーンになると「あ、ここ見た!」とか言って、母はさっさと映画館から出ていってしまうのです。(Sさん)
エピソード2
昔の映画館は週末になるとオールナイト上映とか言って、真夜中でも上映しているところも多かったです。私も学生時代は、友達と誘い合って、夕方頃映画館に入って、そのまま朝まで映画を見ていた事があります。もちろん、映画も見ましたが、興味のない映画の時は熟睡しておりました。オールナイト上映って、簡易宿泊所の役割もはたしていたのかもしれません。とにかく、宿泊施設として考えると、映画館って安価だからね。(T氏)
エピソード3
映画のポスターは、街のあっちこっちに掲示板があって、そこには貼られていました。そのポスターを見て「今、映画館で、こんな映画がやっているんだー」とか思ったものです。(I・Kさん)
エピソード4
昔は映画の始めは、必ずニュース映画でした。ニュースを映画でやるのも、今の感覚では信じられませんが、当時はのんびりしていたんでしょうね。ニュースをやっていたんですよ。(Nさん)
エピソード5
昔の映画館は、基本的に今よりも大きかったです。なにしろ、昔は映画って大人気だったし、テレビが出来るまで、みんな映画を楽しみにして、欠かさず見に行っていたそうなんです。だから、映画館って大きかったんです。
ハコは大きくても、人をギュウギュウに入れるためですか? 座席は小さくて窮屈で立ち見の人もいました。たいてい、トイレの臭いが館内にも入り込んでしまうようなところも多く、臭かったり、逆に消毒液のニオイがプンプンしていたりしました。(N・Tさん)
今回の10位までは、私も実体験をしています。‼